1921年にはユーコンに居住するアジア系移民は20人に過ぎなかったが、1941年には40名に増加した。真珠湾攻撃後、第二次世界大戦中、カナダに住 む日系人たちは敵国人とみなされ、国防省に登録することが要求された。1942年、老若男女2万人以上の日系人(そのうち75%はカナダ国籍所有者)がカ ナダ国内の収容所に強制収容された。ユーコンでは、RCMP(カナダ連邦警察)がこの仕事に携わったが、ドーソン市で日系人が抑留されたと言う記録はな い。また、その他のユーコン市町村で日系人が抑留されたかどうかは不明である。
その後、注目すべき肯定的な変化も起こっている。中国からのカナダへの移住をほとんど不可能にした中国移民法が1947年に破棄され、同年、中国系カナダ人とインド系カナダ人に選挙権が与えられた。日系カナダ人は1948年に選挙権を与えられた。1967年施行の移民法では、どこの民族に属するかではなく、各々の持っている技術とカナダ文化に対する適応性とによって、カナダ市民としての将来性が評価され、移住の資格が審査されるようになった。
フランク・ヨカバダ(?)、トレッドウェル・ユーコン会社、ルー・タイタスの旧事務所にて、1935年頃
ユーコン・アーカイブ、ユーコンにおけるアジア系移民の歴史コレクション、2006/146 #12
20世紀初頭、ダンカン、ミント、ハイェト・クリークに金が発見され、スチュワート川沿いにメイヨの町が設立された。1919年には、キノ・ヒルに銀鉱脈が発見され、その後20年近くもユーコン経済の要の役割を果たした。
この近辺には何組かの日本人家族が住んでいた。アジアからユーコンに来た第一世代の移住民たちは、カナダの他の地域と同じく、独身の男性がほとんどであったが、1920年には家族が多くなってきた。
ジョージ・ナガノ、息子のジョージ、お守りのベティー・キカと娘のジーン、日曜学校のピクニックにて、1937年、メイヨ
ユーコン・アーカイブ、ユーコンにおけるアジア系移民の歴史コレクション、2006/146 #15